evilgoririnのブログ

~無骨で狡猾な豚骨~

紙の動物園の手紙は母の呪いなのか

ラスト、母が息子に真実を告白する大事なシーンについて私なりの私見を少し残します。

(勝手な呼び方ですが)このシーンが親子愛派と怨念派に大きく2つに別れることはご理解いただけると思います。しかし、私が最初にこの箇所を読んだ印象はそのどちらでもなく、母は誰かに愛してほしかっただけのまるで子供のような自己中心性を持つ少女のようである、もしくは社会背景の歪から産み落とされた悲しみの象徴のようだと感じました。またそこから考察を加えて、母は精神障害者であり息子に向けた手紙は未完成だったのではないかといった説を提案します。

 

もう少し具体的に書きます。

 

 

まず親子愛派です。息子は手紙を読みそこで初めて母の気持ちを知ることになります。母は息子が産まれて初めて家族らしい温かみを感じ、息子と対等に過ごせた日々に強い喜びを感じていることが手紙から読み取れます。また、手紙を読み終えた息子は「愛」の文字を記し、このことは我々読者に親子の愛を感じさせてくれています。

しかし、手紙をよく読むと少なくとも手紙には母から息子に向けた具体的な愛が感じられる箇所はありません。強いて挙げる箇所もありますが、それは母から子に向けた無償の愛情というよりは、どちらかというと息子から感じる祖父母の面影や息子がいることで感じた社会性・居場所に対して自身の喜びが記されているだけといった方が妥当であり、親子愛とは違う形だと思われます。したがって母が息子を愛していたかは不明ですが、少なくとも手紙には息子のことを愛している具体的な描写はなく、ただただ自分にとってそれらの出来事が嬉しかったと記してあるだけの、まるで日記の様な自分勝手な文章が記されているだけです。個人的な意見ですが家族愛を表現した作品として受け取るのはだいぶ難があるのではないかと思います。

 

 

次に怨念派です。

手紙は息子に向けられた呪いのメッセージであると考える根拠は主に2つあります。1つは手紙が苦しみながら終えていること、もう一つは親孝行できない苦しみが世界で一番辛いとわざわざ記していること、この2つがあります。通常、この手の手紙のラストは「母はあなたのことをずっと愛しています。」の様に母の慈愛の言葉が記されていることが典型的な展開だと思われますが、そうした文は一切なく、むしろ怖いぐらいにネガティブな方向性のまま手紙を書き終えています。また一般的に手紙の文末とは一番伝えたいメッセージを残す箇所でもあり、その上で文末の「どうして話しかけてくれないの?」が一番伝えたいメッセージだったと仮定すると、母が息子に対して恨みのような感情が抱きつつ最後の時を迎えたとする方が妥当だと思います。こうしたことから、個人的には親子愛というより怨念派の方がずっと腹落ちしやすい気がしており、また客観的に見ても一見ハートフルな作品に見せかけ実はホラーチックで非常にスパイスの効いた作品として認知された方が作品のウケも良いと思うので、成り行きとして十分に納得できます。

しかし怨念派だったとして解せないのは、怨念として具体的な被害がないことです。息子は全く無事な上に老虎(ラオフー)と良好な関係であることが見て取れ、特に被害らしい被害を被っていません。まして、魔法が使えた母がもし息子に怨念を抱いていた場合は、動物達はもとより息子が一番気に入っている老虎に強い怨念を載せる展開が自然だと思われます。しかし、息子が具体的な怨念の被害を被っている描写はなく、怨念派としての理解は一定の支持はできつつも不可解な点が残るなどしっくりこない部分があります。

 

 

最後に未完成派です。

未完成派というのは、母は精神障害を抱えており、手紙を書く途中で精神障害の発作が起こり、息子に本当に伝えたかったメッセージは書ききれておらず手紙は未完成であるという説です。

 

順に説明します。

手紙には母の生い立ちが記されていおり、そこには辛く苦しいだけの一生だったことが記されています。まず母は貧農の産まれで、齢9つにして両親が悲惨な死を遂げて完全孤児、そこから人売りに合い、虐待されながら奴隷として6年過ごし、カタログ経由で配偶者と出会い息子を授かるも社会的な居場所は家庭内外のどこにも存在せず、親戚も身分もないまま一生を終える、といった聞くだけで身の毛がよだつ不幸な人生です。

 

次に、この人生背景から母の人物像をもう少し深読みします。

まず、最も強調すべきは9歳にして両親が自殺と射殺され完全孤児となった点です。間違いなく強い精神的ショックを受けていますので、この出来事で恐らくなんらかの精神障害を患ったと考えるのが自然だと考えます。また、両親を失ったことで本来受けられるはずだった愛情や、孤児となったことで親戚やコミュニティから受け取るはずだった社会的な愛情・所属する安心感を十分に受け取ることができず少女期を終えているということがまず一つ目です。

次に教育レベルが著しく低いことです。現代の多くの人間は、教育機会や家族・他者との対話を通じて社会的な成熟性や精神的な豊かさを向上させます。母の場合は、9歳頃までは親からの教育を受けて育ったかもしれませんが、少なくとも貧農だったこと学校に通うお金はなかったと思われます。また、そこから奴隷として働いた6年間も虐待され続け教育機会がないまま15~16歳を迎えます。15歳というのは、人間の脳発達においてまだ発展途上にあるにしても相当に成熟した段階にあり、ここまでの期間にまともな教育を得られなかったことは母の社会性の欠乏に強い影響を与えていると考えられます。また虐待環境においては、他者とまともにコミュニケーションする機会も乏しかったと考えられるため、社会性を育む機会は益々なかったものとして考えられます。

 

このことから母は、与えられるはずだった愛をもらえず、受けられるはずだった教育を受けられず、強い精神障害を抱え、社会的・精神的に未発達のまま身体的にだけ大人になったような人物像だと考えられます。

 

 

母の手紙の真意について検討します。気になる点を3つ。

1つ目は、母が社会的な所属を強く欲していた点です。母は手紙の中で自分の存在を証明するなにかをずっと欲しているようでした。母は息子を授かったことを喜んでいますが、それは母性的なものではなく、自分や祖父母達が生きていた痕跡を後世に伝えられた喜びのように読み取れます。また、息子が仲立ちしてくれた件についても、息子の成長や家族性の成熟に喜びを得ているのではなく、配偶者との社会性を証明する存在にパイプ役としての息子がいることに対して喜んでいるようにも読み取れます。このことから、母は社会的な居場所を求めていたことが分かります。またなぜそこまで強く求めているのかといえば、生い立ちを遡れば十分に説明が付きます。

2つ目は、文体の乱れです。手紙の中で息子が産まれた箇所で母は喜びを表現していますが、その箇所以後の文体はずっと崩れており他とテイストが異なっています。平たくいえば語彙力が低下し、明らかな幼児退行の兆候が伺えます。文体の崩れは、手紙を書きながらにして精神的な乱れや強い興奮があったこと示唆しており、母が人生においてなにを最大の喜びに感じたのかがよく分かります。しかし、ここでフィーチャーされているのは誕生した息子ではなく、息子の向こう側に視える亡き家族達の面影であり、通常の母性とはかけ離れた感性を持っていたことが読み取れます。このことからも母の異常性、また母親としての役割を十分に果たせていないことが伺えます。母が息子の出生それ自体を喜んでいたのかは不明ですが、手紙の中の出生のシーンにおいては、息子への喜びより亡き家族への感情が優先的に述べられています。つまり、未だに亡き家族との繋がりを求めており過去に強く縛られて生きていることが分かります。

3つ目は、2つ目の話しと繋がりますが、幼児退行し感情がむき出しになった以後に記されている内容が、子供が親にわがままをおねだりする姿にそっくりな点です。亡き両親のことを思い出し感情の自制が効かなくなった以後に綴られている内容は、息子への慈愛のメッセージではなく、息子に対して自分はこうして欲しかったと記しただけの単なるわがままです。息子の立場やこの手紙の立ち位置・重要性を無視した一方的なメッセージであり、もし母が精神的に成熟していればこのタイミングでこのメッセージはありえません。息子との最後のやり取りになる可能性のある重要な手紙の中では、もっと他に伝えるべき重要なことが山程ありますし、後腐れた要望を受け取った息子の気持ちを考えれば、いかに不適切な内容であるかは自明です。ですので逆説的に母の精神的な乱れや未熟性が読み取れます。

 

上記のことから母はなにかしらの異常性を抱えており長く苦しんでいることが読み取れます。

 

最後に、母は何を伝えたくてこの手紙を息子に残したのでしょうか。

ここで重要になってくるのは母が息子を愛していたのか、それとも亡き両親の面影を射影するだけ存在としての感情しかなかったのかということです。母は息子のことを本当に愛していたのでしょうか。実は手紙以外の箇所では母が息子に対してなんらかの愛情表現をしている描写がいくつかあります。特に亡くなるその日、母は息子に直接愛していると伝えています。

 

母は息子を愛している。しかし、手紙の最後には息子に対して恨みのようなメッセージが記されている。一見矛盾している2つですが、母が精神障害者であることを加味すると次のように説明がつきます。

私が想像するに、きっと書き始め当初はもっと母親らしいことを書こうとしたのだと思いますが、途中から感情の自制が効かず、深層心理に眠っていた飢えた愛情を求める悲しみのはけ口となってしまい、亡き両親に向けるはずだったわがままを息子にぶつけてしまい、最後には収集がつかなくなってきた事を自覚して書くの止めたのではないでしょうか。それであの異形に終えたのだと思います。本当に息子に伝えたいことは伝えられず、また紙に書いてしまったため消すに消せず、書き途中ながらも手紙を書き終えるしかなかったのではないでしょうか。

 

 

まとめます。

母はその発育過程において抱えた重篤精神障害や精神的未熟さに一生苦しみ続けるが、それでも不器用ながらも息子をそれなりに愛し、母親を全うしようとします。最後に息子への手紙を残そうとしますが、大事な場面で息子への愛より亡き両親から愛されたかった感情が勝ってしまい、伝えたいことを伝えられずそのままこの世を去った悲しき一人の女性だったのではないかと思いました。

 

つまり、母が本当に伝えたかったメッセージは手紙では伝え切れておらず、つまりあの手紙自体は未完成であるが。しかし悲しき行き違えはあれど母は息子のことを愛していた、そんな作品じゃないかと思いました。