親ガチャは免罪符
親ガチャに失敗したと嘆く人がいるが、失敗したからなんだというのだ。
親の気持ちにもなってみれば、親に子ガチャに失敗したといってもらいたいのだろうか。いったいだれが嬉しい、そんな世界。
加えて、失敗したと嘆くが、では自分が将来親になった時のことも想像してほしい。そうした人達は自分の子供に「親ガチャに失敗した」と言われたときに「私も」なんて自分の境遇が免罪符として機能すると勘違いしているのだろうか。守るべき最愛の我が子に向かって情けないとは思わないのか。
自分が親ガチャに失敗したと思ったら、せめて親には「子ガチャに成功した」と思ってもらえるぐらいに頑張るべきだし、子供には「親ガチャに失敗した」なんて言わせないし、むしろ成功したって言わせるぐらいに、今から希望をもって正面を向くべきなんじゃないだろうか。
救うも殺すも自分次第でしかないのである。